三津コース(11)

 亀水塚
笠をしいて手をいれてしるかめの水   (松尾)芭蕉

 碑には漢文が刻まれており、「連歌風変じ、俳諧漸く行はる。祖翁家を成し、海内風に嚮ふ。百年諱辰(命日)、幸に翁の手沢の(遺愛の)亀水の詠を得、これを丘岳に蔵し(おさめ)、碑を樹つ。名づけて亀水塚といふ。吾がともがら私淑してその教えを聞きて得るあり、此の挙をともにし、以て追遠し、徳に報ぜんのみ。末弟三津社中某等謹しみて建つ。」と訓む。
 右の漢文の説明のとおり、芭蕉没後百年目の祥月命日に、翁自筆の句を塚の下に埋めて建てたものなので、「亀水塚」と呼ばれる碑である。この句は芭蕉の句集に見えず、『諸国翁墳記』(宝暦、安政頃刊)に「亀水塚、伊予、松山、三津浜」として「笠を舗て手を入てしる亀の水」とあるくらいで、句意もはっきりせず、無季の句である。建碑の翌々年の寛政7年(一七九五)2月5日より三津の松田方十宅にいた小林一茶は、9日、人々とこの地(古深里の洗心庵)に会し、この碑を見て翁を偲び、「汲みて知るぬるみに昔なつかしや」と詠み、「旧懐の俳諧をして浦辺を逍遙し」と前書きして、「梅の月一枚のこす雨戸哉」などの句を残した。当時既に200年は越していたと思われる碑脇の老松は枯れてし まった。「末弟三津社中」とは、松田方十(信得)(一七五五―一八一六)が中心人物で、当時四一歳。

所在:松山市港山町(不動院)

三津コース(11)番