三津コース(15)

秋晴れひよいと四國へ渡つて来た(種田)山頭火

昭和14年(一九三九)10月1日、山頭火は終の住処を求めて、広島・宇品港から「女王丸」で旧高浜港に11時50分に着いた。このときの句。
 松山に到着以後のことについて、副碑には
   「 ―十月五日、念願の野村朱燐洞(松山出身の自由律俳人)の墓に詣で、十月六日から十一月二十一日まで四国遍路。十二月十五日、松山城北の御幸寺山麓の陋屋に入居、「一草庵」と名付け、句作に励み、句会を開き、一代句集「草木塔」を刊行するかたわら酒と温泉を楽しみ、句友知己に支えられて安寧の生活を送る。昭和十五(一九四〇)年十月十一日未明、脳溢血で、念願のコロリ往生、数奇な生涯を閉じた。享年五十九歳。この間、第十二相生丸(石崎汽船)で昭和十五年一月と五月に中国・北九州方面へ旅をしている。(以下略)」と解説している。
 句碑は、山頭火来松七〇年を記念して平成21年10月に建立された。句碑の左にある半球状の2個の石は、山頭火愛用の笠と盃をイメージしてある。

所在:松山市高浜一丁目

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