城北地区(7)

菎蒻こんにゃく につゝじの名あれ太山寺(正岡)子規

 「寒山落木」明治25年春(一八九二)、植物の部に、「伊豫太山寺」と前書きして、この句があるが、もともと、この句は、明治25年6月17日付、松山の碧梧桐宛子規書簡の中に、松山名所十二ヶ月の中三月分として、出合の「若鮎の二手になりて流れけり」(「若鮎の二手になりて上りけり」参照。)の句などとともに見えている。虚子は、その著「子規句解」(松山市民双書21・市教委昭和 54年復刻)の中で、次のように説明している。
 「――三津の近傍に――太山寺といふ寺がある。菎蒻が其処の名物であって、それを太山寺菎蒻といって松山あたりの人々は特に賞玩して居た。そのまた太山寺には躑躅の花が見事であった。そこで、菎蒻には太山寺菎蒻といふ名前があるが、また、つつじ菎蒻といふ名前があってもいいではないか、と戯れて言ったものであらう。」
 句碑の前の家は、もと茶店で、時候のよい時は、参詣客や遠出の客で賑ったものである。
 句碑は、昭和48年5月、地元の俳句結社である月蝕吟社・瀧雲吟社により建立。

所在:松山市太山寺町(太山寺参道)

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