道後コース(6)

伊予とまうす国あたたかにいで湯わく(森)盲天外

 盲天外は本名森恒太郎、旧余土村生まれ。盲目の身で余土村を模範村に成し遂げ、全国にその名を知られた。また、県会議員、道後湯之町町長も務め、一方、正岡子規に師事して「天外」の号を受け、明治28年両眼失明後は自ら盲天外と
号した。はじめは、三樹堂・孤鶴と号し、明治24年、月刊俳誌「はせを影」を発刊して、第二号に子規の紀行文「山路の秋」を載せ、また農村教化に努めた。名著『一粒米』(明治41年刊、昭和52年復刻増補)などがある。
 なお、この句碑は、もともと道後鷺谷にあった旅館の敷地内に建立されていたもの。旅館の倒産に伴い句碑が撤去され、一時は道後の区域外に移転していたが、道後温泉ゆかりの句碑ということで、平成14年、再び道後駅前の放生園内に設置された。

所在:松山市道後湯之町(放生園)

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