道後コース(9)

色里や十歩はなれて秋の風(正岡)子規

 明治28年(一八九五)10月6日、快晴だし日曜日で学校も休みだったので、子規は同居の漱石と道後へ吟行、入浴後遊郭松枝町を通り、「宝厳寺に謁づ。一遍上人御誕生の霊地とかや。古往今来当地出身の第一の豪傑なり」と述べて、「山門に腰うちかけて」と前書きして、「散策集」の中にこの句がある。帰りに大街道の芝居小屋(新栄座)で「てには狂言」を見たとある。この日に因み、80年目の昭和49年10月6日新田兼市氏がこの碑を建立した。文字は、「寒山落木」の自筆の拡大。なお、境内に

子規忌過ぎ一遍忌過ぎ月は秋(酒井)黙禅

の句碑もある。酒井黙禅の句碑で、前記の新田氏が昭和49年1月に建立した。時宗開祖一遍上人成道七百年を記念した句碑である。子規忌は9月19日、一遍忌は旧暦8月23日、太陽暦9月16日に当たる。一遍は建治1年(一二七五)、紀州熊野権現で悟りを開き成道したと言われる。昭和49年(一九七四)は、それより丁度七百年目に当たる。宝厳寺本堂内の一遍上人木像は国指定重要文化財で室町時代のものである。一遍は全国各地で念仏札を渡して約250万人を教え諭し、正応2年(一二八九)、現在の神戸市JR兵庫駅の南の真光寺の地で没した。五一歳。(一遍上人前田伍健 参照。)

所在:松山市道後湯月町(宝厳寺)

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