道後コース(19)

しろ山の鶯来啼く士族町(高浜)虚子

 この虚子の句はホトトギス明治37年(一九〇四)三月号に載っている。「士族町」は松山城麓の周辺。虚子が酒井黙禅の田高庵を訪ねた記念として、黙禅所蔵の半折を、そのまま写して碑に刻んだもの。碑石提供者の豊山は神野氏。 新居浜の俳人で、氏の自宅には黙禅の句碑がある。
 句碑のある松山神社は、明和2年(一七六五)3月、道後の湯月八幡宮(今の伊佐爾波神社)の山祠を、久松定静が、この田高の岡に移し、徳川家康を祀って「東照宮」と称し、松山城東北の鎮めの神社としていたが、明治43年(一九一〇)12月、御幸寺山麓の天満宮をこの地に移して、この社に、菅原道真公をも合祀して以来、「松山神社」と称し、祝谷地区の氏神さまとなっている。

所在:松山市祝谷東町(松山神社参道右)

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