道後コース(20)

東風こちの船高浜に着き五十春ごじゅっしゅん(酒井)黙禅

 「ホトトギス」同人酒井黙禅が東大医学部卒業後、日赤松山病院長として東京から赴任したのは大正9年(一九二〇)3月のことで、数え年三八歳であった。3月5日、向島・「喜多の家」での送別会で、高浜虚子は、「東風の船博士をのせて高浜へ」の句を贈って黙禅の前途を祝福した。この句碑の句は、虚子の右の句を承けたものである。句碑建立の日付の昭和47年3月15日は黙禅九〇歳の誕生日になる筈であったが、伊予在住五三年目の誕生祝の日を待たず、この年の1月8日に没した。この間、松山の人以上に松山人になりきった黙禅は、地 方医療に、地方俳句界に、大きな足跡を遺した。文字は黙禅自筆。昭和47年3月15日建立。なお、高浜年尾に次の句がある。
   酒井黙禅追悼
  東風吹くを待たざりしこと悔まるる  (高浜)年尾

所在:松山市祝谷東町(松山神社参道右)

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