道後コース(28)

萩静かなるとき夕焼濃かりけり(森)薫花壇

 本名・福次郎 伊予郡余土村(現松山市)生まれ。明治41年、河東碧梧桐門下として句作をはじめ、地元南山会に参加、森田雷死久に指導を受け、昭和7年、野間叟柳に強く勧められて、月刊俳誌「糸瓜」を創刊。以後、富安風生に師事しつつ、同誌を主宰し、愛媛俳句の普及と向上に貢献した。
 第一句集を『蟹目』というのは、「釜鳴りは蟹眼かなでに松の花」(昭和27年)からとったという。「蟹目」とは、「魚眼蟹目」と熟し、茶道の方の言葉で湯の沸く形容であるとのこと。魚眼は大きな泡で、泡の形が蟹の目のように小さくなることを蟹目という由で、中国の大詩人・蘇東坡の詩に「蟹目すでに過ぎ、魚眼生ず」ともあるそうである。その「蟹目」という字面をおもしろく思って句集の名とした由。「糸瓜」が昭和33年4月号をもって二百号に達するのを記念する意味を兼ねて出版したという。第二句集『凌宵花』というのは、薫花壇が、この花を大変好み、この花の身近さと色彩感の豊かさにかねてより強く心惹かれていたことより、句集の名とした由。

所在:松山市御幸一丁目(東栄寺)

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