道後コース(29)
功や三百年の水も春(内藤)鳴雪(右)
寶 川伊豫川の秋の出水哉(村上)霽月(左)
重信川と石手川を改修した大龍院殿(足立重信。加藤嘉明の臣)の功を讃えて、その三百年記念のため、大正14年(一九二五)4月、重信の墓(五輪の塔で県指定史跡)の前に、重信ゆかりの重信川の石で灯篭二基を建立した。その灯篭に句が刻まれていて、珍しい句碑である。いずれも自筆。
足立重信は松山城の築城奉行を仰せつかったが、未完の城に心残しつつ、寛永2年(一六二五)11月17日、西堀端の邸で病没した。城の見えるところに埋めてくれ、との遺言で、小高いこの地に葬った。大正14年(一九二五)は、丁度三百年忌に当たる。
「寶川」は石手川改修前の名で、「伊豫川」も、同じく、重信川の改修前の名である。足立重信らの努力でこの二川が改修されたのでこの地の人々は水害を免れるようになった。
所在:松山市御幸一丁目(来迎寺石灯籠脚碑)
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