道後コース(30)

永久とわ眠る孝子ざくらのそのほとり(波多野)二美

 波多野二美は、俳誌「柿」二代目主宰波多野晋平(一八八四―一九六五 明治17年―昭和40年)の夫人、本名・貞子。耳鼻咽喉科医、波多野精美の母堂。
 この近くにロシア兵墓地がある。日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦の捕虜で松山で死亡した者の墓98基で、松山市御幸一丁目五三一の二にある。毎年3月の彼岸前後に、市内婦人会有志により慰霊祭が行われて来たが、今日では松山市がこれを行っている。
 これとは別に、この句碑のほど近く、御幸の桜ヶ丘の吉平屋敷跡と天徳寺境内に市指定天然記念物の「十六日桜」がある。この花のことを、小泉八雲が世界に紹介したので、よく知られるようになった。孝子桜の話は、この地に住んでいる重病の父が桜の花を見たいと願うので、子の吉平が桜に祈ったところ、寒中の1月にかかわらず16日に花が咲いた。この奇跡によって、老父は以後長寿を保ったという。これらの元の木は戦災で焼失、初代の形態のものはなく、実生による変異品種のみのようである。
 二美の句の「そのほとり」とは、そのようなゆかしい言い伝えの地のほとりに、永久に眠る九八柱のロシア兵等の墓地があるの意か。碑陰には、「松山赤十字奉仕団 昭和四十三年十一月三日建立 外人戦没者の霊に句を捧ぐ 波多野二美」とあるので、この句の意味が尊く偲ばれる。

所在:松山市御幸一丁目(ロシア兵墓地)

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