道後コース(31)
つくしけん人のまことをにほはせて
さくかむ月のはつさくらばな(西村)清臣
西村清臣は、江戸時代の松山の歌人石井義郷と同年の生まれであるが、彼より三〇年も長生きし、その長男が井手家を嗣いだ井手真棹(正雄)で、正岡子規に短歌の手ほどきをした。
この碑は、明治11年(一八七八)1月16日に建てたもの。この碑文は、一千余字の長文で、清臣門下の青野清夫の書である。孝子桜の経緯を擬古文で書いたもの。原文は清臣の作で、井手家に今も存する。その結びに、この歌がある。
寛政7年(一七九五)1月16日、俳人小林一茶はこの地に訪れ、有名な桜を見ようとこの山中まできたところ、人々が大勢集まっているので、
玉櫛笥二名の島のむつみ月
むつむや花のもとにつどへり
の和歌を残した。
所在:松山市御幸一丁目(桜台孝子吉平邸跡)
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