道後コース(16)

祭芭蕉翁冢(表)
宇知与利氐波奈以礼佐久戻牟女津波几うちよりてはないれさぐれむめつばき(裏)

 裏の文字は「打ち寄りて花入れ探れ梅椿」と訓む。江戸常詰の藩医青地伊織こと彫棠は江戸に在って俳諧を芭蕉の弟子其角に学んだ。そのゆかりで、元禄5年(一六九二)12月20日太陽暦(一六九三)1月25日、江戸の彫棠宅に芭蕉・其角を迎え、連句の会を催した。この時の芭蕉の発句がこれである。「探梅と言えば野外の梅を探るのであるが、はからずもその席に早咲きの梅、椿が活けてあるので、さあ、寄って来てこの花入れの花を賞したまえ」の意味で、以下三六句続くのである。
 当日の出席者は右三名の外に桃隣、黄山、銀杏の計六名で、桃隣がそれを懐紙に記録していたのを、彫棠と親しく、其角の弟子でもあった越智擲瓢が譲り受け、その子麦邑を経て、孫の蓬生庵青梔が、芭蕉翁没後77年目の明和7年(一七七〇)に、この懐紙を霊代にしてここに埋め、この碑を建てたもので、「花入塚」と呼ばれている。
 松山市内に一二基ある芭蕉の句碑のうち、太山寺の柳壟についで、二番目に古いものである。

所在:松山市石手二丁目(石手寺三重塔北)

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